僕のほしいもの

夢の中にまで出てきたあの少女は

もうすっかり大人の女になっています

腕も脚もすらりとのびて

髪も黒々と艶やかで

 

まだ大人になれない僕は

こうして夜の音を独り聞きながら

明日までの道のりを指折り数えて

白々明けるまでの時を噛みしめているのです

 

友人たちと自分と

何が違うのかと悩んだふりをして

ふりをして すぐに諦めて

胸のもやもやとしたそいつをひとまず措いておきます

 

真夜中 不意に目を覚ましたとします

そういうときはたいてい 胸のそいつも目を覚まします

闇よりなお大きく広がったそいつのいる僕の胸は

いったいどれほど大きいのでしょうか 過去ほどでしょうか

 

生きています ひとまず生きています

生きようと思ってもいます 神様

一人で生きられる強さをくださいとは申しません ただ

一人で生きられない弱さが欲しいのです

 

2015.5.16

チェインギャング

私がどれほそ汚れようと

世界は変わらず美しいのだ

 

私がどれほど怠惰であろうと

世界は変わらず活発なのだ

 

私がどこまで死の淵に近づこうと

世界は変わらず生に輝くのだ

 

知っているかい?

世界は私のことなんて知らないのだ

歯牙にもかけず 素知らぬ顔で 何食わぬ顔で

あいも変わらず真善美におわすのだ

 

でも君よ

だからこそ世界は歪んでいて

私たちは真っ直ぐだ

果てるも知らず真っ直ぐだ

 

世界が歪んでいるのは

僕のせいで 君のせいで

誰も彼も真っ直ぐだから

それはもうどうしようもないことなのだ

 

だから君よ

ほんの少しだけ

もうほんの少しだけ

正しく歪んだ世界で愛そうじゃないか

 

2015.5.10

消失と

そして春の夜は更け また別の朝を連れてくるのでした

今でも私はあの夜を忘れはしないのですが

あんまり朝日が眩しいもので

なんにも見えなくなってしまうこともあるのです

目の前も 昨日の月も あの夜のあなたも

見えなくなってしまうのです

 

おはよう

そう微笑みかける先のあなたはもういません

満開だった桜の花は

夜半の風でおおかた散ってしまったようですが

その唐突さと呆気なさには

あなたを思いださずにはいられませんでした

 

窓から流れ込む風の中に

軽やかなピアノの調べを幻聴しました

あなたの好きだった あのメロディです

ひょっとして どこかであなたが弾いているのでしょうか

そう祈ることは 許してほしいのです

 

無言の時計はいつの間にか十時を指し

テーブルの上の珈琲はすっかり冷め

外の雀もカーテンに一瞬影を落とすばかり

ゆらゆらと ひらひらと

風に舞う白布に目を奪われていれば

また時は 静謐の中 過ぎていくでしょう

 

本当に? 本当に?

私はまだ つい問うてしまうのです

まだ? つい? いつまで?

きっと いつまでも

 

2015.5.8

秘密の抜け道

午後八時半 もう閉まった暗い店の前で

一つの公衆電話だけが

街灯を浴びて夜に浮かんでいた

誰がかけるのか 誰がかけるのか

与えられた役割が動き出すのを じっと待っていた

僕のポケットには 十円玉が二枚

果たして誰かにかけてみようか

覚えている番号は一つもない

ただ 夜空の向こうへつながるような気がして

受話器を取って

そして

戻した

背後の道を 何も知らずに車が走る

僕が握っていたそれが 世界のどこかへつながるだなんて知らずに

びゅんびゅんと

 

2015.5.2

そして私は旅に出る

そして私は旅に出る

一片の影をキッチンのテーブルに置いたまま

それが幼児の遊び相手になっているうちに そっと

二匹の犬は気づいて吼えるが

雲一つない空は声を全てのみ込み

あとには不在だけが残った

真っ直ぐに伸びる一本の道

うねうねと曲がる二本の道

そして私は旅に出る

何一つ荷物を持たぬ ただ一個の私として

 

2014.5.17

クレヨンと夕焼け

大きな火の玉が彼方の街へ墜落していく

真っ赤に焼けたビルが澄みきった空気の中で

クレヨンのように立ち尽くす

今にもぽきりとへし折れそうな

今にもどろりと融けそうな

それを握って 世界をぐちゃぐちゃに塗りつぶしたい

そんな空想は罪か 救いか

いつの間にか握りしめられていた拳を開けば

白く そして赤かった

指で空を撫でる

風を 星を

空が青く 紅く 黒い

明日は晴れそうだ

 

2013.9.16

やさしいうた

やさしいうたってなんだっけ と君は言った

目をつぶると流れるメロディを君にも聞かせてあげたいけれど

あいにく僕の喉はからからに乾いている

ひきつれた襤褸のような声は風にまぎれて

君を通り越して 向こうの海へ散っていった

やさしいうたってなんだっけ ともう一度君は言った

僕が浮かべるのは苦々しくも透き通った笑顔ばかりで これ以上説明できそうにない

天から降ってくる銀の針のように

やさしいうたは僕を貫いて

流れた見えない血は地面を濡らした染みだけを残す

薄紅色に頬を染める君の足元にまで達した細い川の流れは

遡るように君の身体へ伝ってはくれないか

やさしいうたってなんだっけ と君は三度言った

 

2013.9.8